作る仕事をしていると、どこまでが作品で、どこからが商売なのかが曖昧になります。
私は福島で映像制作をしています。バンドのマネージャーもしています。
頼まれて作るものと、誰にも頼まれずに作るもの。この2つは、同じ「作る」でも別のものだと感じてきました。
しばらく「アートとデザインは紙一重だ」と思っていました。この記事を書きながら、その言い方は違うなと気づきました。そこまで含めて書きます。
読んでほしいのは、受託の仕事ばかりで「これは自分の作品と言えるのか」と思ったことがある人です。答えを出す記事ではありません。
頼まれて作るものは、ゴールから逆算します
仕事で作る映像には、お客さんのゴールが大前提としてあります。そこから逆算していく工程です。
たとえば求人の動画なら、こうなります。
- ゴールは、求人の問い合わせが来ること
- ではどういう人に問い合わせてほしいのか
- 若い人に来てほしい
- なら、入社してすぐの若い社員に話を聞く動画を撮ろう
- それをホームページに載せて、Instagramで若い人にターゲティング広告を出そう
全部、最初のゴールから引いてきています。私が撮りたいものは、ここに一度も出てきません。

自分で撮るものには、ゴールがありません
作品のほうは、自分がこれを撮りたい、これを伝えたい、から出発します。
伝えたい思いは、あってもなくてもいいと思っています。
あるなら、それをどう伝えようか、何を撮ったら伝わるかを考えます。特に伝えたいことがなくて、「あれ撮りたい」「これ撮りたい」が先行するときも全然あります。
撮っただけで終わることもあります。撮ったものをただつないで、Vlogという形にして消化することもあります。
仕事では1フレームを気にして、自分の作品では気にしません
ここが、自分でもいちばん分かりやすい差です。
仕事では、1秒、0.1秒、5コマくらいまでかなり気を使います。コマは映像の最小の単位で、1秒はおよそ30コマです。5コマは0.2秒に届きません。そのくらいの差を、何度も見比べて決めます。
自分の作品では、そこまで気にしなかったりします。むしろ、余白を残す選択をします。
ここでいう余白は、画面の空白のことではありません。時間のほうの余白です。たとえばこういうことです。
- 普段の仕事ならカットする「間」を、そのまま置いておく
- 意味を持たないシーンを、意味がないまま入れる
- 逆に、雑談や談笑のシーンを全部カットしてみる
- 違和感を、わざと残す
そういう遊びをやっていい、ということです。誰にも怒られないので。
仕事の映像では、この判断はできません。間を残せば「意図が伝わらない」と言われますし、意味のないシーンは真っ先に削られます。
受託は、全部お客さんの作品だと思っています
「これは自分の作品じゃないな」と思う瞬間があるか、と聞かれたことがあります。
私は、基本的にずっと全部そうだと思っています。
誰かが作りたいと思って発注したものです。それはその人たちの作品であって、私たちは制作を代行しただけです。
もちろん、並べて見れば色は出ます。私はずっと一人です。個人事業主のころも、法人にしたいまも。外注のパートナーがうちのスタッフとして一時的に入るだけです。
それでも、個人事業主のころから自分の作ったものに色が出ているのは感じていました。テロップの雰囲気とか、そういうところです。「これはもう、うちっぽいな」というのが作風として出てきます。育てた外注のパートナーたちも、それを受け継いでいます。
それでも、これはうちの作品だとこちらから言うのは、絶対に違うと思っています。出発点が違うからです。
実績として出すのは、作品を見せることではありません
ここで、よく聞かれることに触れておきます。「自分の作品じゃないものを、実績としてサイトに載せていいのか」という話です。
居心地の悪さを感じる必要はないと思っています。
やめたほうがいいのは、それを「作品」として出すことです。
実績として並べているのは、「うちはこのくらいのものが作れます」という情報です。自分の作品を見てもらうために出しているわけではありません。まだ会ったことのない人に、どのくらいのレベル感で何が作れるかを判断してもらうために出しています。
こういうところと取引がある、こういう企画ができる、というのも同じです。アピールのために出しているのであって、「俺の作品を見ろ」ではありません。
正直に書くと、代行したものを自分の作品として看板に使うのは、おごりだと思います。偉そうすぎる、というのが私の感覚です。
「紙一重」だと思っていました
ここまで書いてきて、自分の中で引っかかったことがあります。
私はずっと「アートとデザインは紙一重だ」と言ってきました。歌詞ひとつ、メロディひとつを取っても、その境目は曖昧だと感じていたからです。
でも、たぶんこの言い方は違います。紙一重ではなく、混同してはいけないものだと思います。
アートは、正解がいくつあってもいい
私の考えを書きます。
Aさんがある絵を見て「綺麗だ」と思ったとします。それはAさんの中の正解です。
Bさんが同じ絵を見て「切ない」と思ったとします。それもBさんの中の正解です。
私にとってアートとは、正解がいくつあってもいいもののことです。
作者の中にもきっと答えがあります。でも、作者が考える答えと、受け取り手が感じた答えは、一致しなくていい。
デザインは、正解が1つになるように設計されています
対して私にとってデザインとは、受け取り手に感じてほしいことや、取ってほしい行動が設計されているもののことです。
つまり、正解が1つになるように作られています。

だから、さっきの求人動画は完全にデザインです。「若い人が問い合わせる」という1つの正解に向かって、全部を逆算しました。見た人が自由に受け取っていいものではありません。
商品撮影も、デザインです
分かりにくい例を1つ出します。商品の写真を撮る仕事です。
これはデザインだと思っています。何のために撮っているのか、という答えがあるからです。チラシに載せるためなのか、Webサイトに載せるためなのか。
撮っている最中には、当然「これが綺麗だ」という感覚が働きます。ただ、そこで判断しているのは、自分が綺麗だと思うかどうかではありません。
「お客さんが買いたくなる綺麗さになっているか」のほうです。
そのものがチラシやWebに載って、売れるかどうか。それを判断するのが仕事です。自分が綺麗だと思っているかどうかは、あまり関係ありません。
ライブはアートで、そのフライヤーはデザインです
いちばん分かりやすい例がこれだと思います。
音楽ライブや芸術展は、アートの分野です。そこにある作品は、受け取り方が自由です。
でも、そのライブや展示に人を呼ぶためのポスターやフライヤーは、デザイン物です。
ここを一緒にしてしまうと、おかしなことになります。
フライヤーに作品の写真を大きく載せて、それで人を呼ぼうとする。これは違うと思うのです。作品は受け取り方が自由なものなので、それを見せられただけでは、人は動きようがありません。
お絵かき教室の告知に、必要なもの
よくある例で言います。
「お絵かき教室をやります」という告知物に、完成する絵や、やっている人の姿を写真で載せるとします。もちろんイメージとして大事です。
ただ、できあがったアート作品をどーんと置くよりも、必要なことがあります。
- いつ
- どこで
- どんな人が講師で
- いくらで
- どんなものを持ち帰れるか
これが分からないといけません。

ポスターは、芸術作品を見るためのものではなく、必要な情報を取得するためのものだったりします。
「作品を大きくしてくれ」と言われたら
とはいえ、作る側は頼まれた通りに作る立場です。展示やライブのフライヤーで、主催者から「作品の写真を大きく」と言われることはあると思います。
私の考えを書きます。ここはあくまで一例です。
本気でそのイベントに客を呼びたい、情報を届けたいと思っているなら、説得するべきだと思います。相手のためを思えば思うほど、そうなるはずです。
言い方は、普通に理屈を立てるしかないと思っています。私ならこう言います。
作品で目を引くのも大事かもしれません。でも目を引いたあとに、いつ、どこで、何をやっているのかが伝わらないと、お客さんが来なかったら元も子もないじゃないですか。お客さんが知りたいのは、たぶんそこですよ。 それに、ここで引っ張ってくる作品は、現場で見てこそ価値を感じてもらえるものじゃないですか。
すべてのものには意味があって、それが一番輝く選択をしているだけです。あなたのことが嫌いで言っているわけではない。そこが伝われば、たいてい話は進みます。
こういう質問をして切られることも、あるかもしれません。ただ、勇気を出して言ってくれる人を切るような相手は、この先ずっと付き合っていくビジネスパートナーにはならないと思います。これは根拠のない、私の意見です。
そして、こういうことを突き詰めていかないと、自分のポジションは上がりません。「こいつすごいな」と思われるのは、相手が気づいていないことを指摘して気づかせて、そのうえで結果を出したときだと思っています。
一方で、そこまで大事に思っていない仕事なら——たとえば金額が安いとか——言われた通りに作って、生活のための仕事として割り切るのも一つの手だと思います。
きれいごとを書くつもりはありません。全部の仕事で説得していたら、身が持ちません。
そういう回です
紙一重ではない、混同してはいけない。そこは自分の中で決まりました。
正解がいくつあってもいいのがアート。正解が1つになるように設計されているのがデザイン。私はこの線で分けています。
みなさんも考えてみてください。自分がいま作っているものは、どちらですか。正解を1つに絞っているなら、それはもうデザインの側です。
この記事の続き
この記事に書いたのは、私に実際に起きたことです。企画を「面白いね」で終わらせずに通すまでの組み立て方。その手順までは、この記事に書いていません。
記事は、私が何をしたかの記録です。教材は、あなたが明日やることの手順です。
そこだけをまとめたのが LOCALANCE BOOKS「企画の書(秘伝)」です。私が実際に使っている型をそのまま置いています。目次と中身は、このすぐ下から確認できます。
