技術を上げれば仕事が増える、と思っていた時期があります。
私は福島で、映像制作とWebの仕事をしています。人に仕事を頼む側でもあります。その立場で見ていると、上手い人がそのまま選ばれるわけではないと分かってきました。
読んでほしいのは、腕には自信があるのに指名が来ない人です。答えを出す記事ではありません。私が選ぶときに何を見ているか、という話です。
私が見ているのは、上手さではありません
外注のパートナーを探したとき、9人から連絡をもらって、私が選んだのは技術がいちばん足りていない人でした。

そのときに何を見たのかを、いま整理するとこうなります。
提案してくること。これがいちばん大きいです。的外れでも構いません。こちらのことを思ってたくさん提案してくる人は、正直、可愛がりたくなります。
そして、何度も提案していると、たまにとんでもなく鋭いものが出てきます。
うまくない提案でも、こちらから「これはもっとこうしたらいいんじゃない」と情報を渡せます。そのやりとりがあると、成長が速くなります。提案の中身より、やりとりが生まれること自体が大事だと思っています。
返信の速さも、常に見ています。早いに越したことはありません。
提案は、いつ何をすることなのか
「提案しろ」とだけ言われても困ると思うので、私がやっていることを書きます。
案件の打診が来た時点で、整理します。
- エンドクライアントは何がしたいのか
- 何の目標を達成したいのか
- 今回作るものは、本当にこのやり方でそのゴールをクリアできるのか
これを考えて、「このままだとお客さんの本当のペインを解決できないのでは」と思ったときが、提案のチャンスだと思っています。
実際にあった提案
Webサイトの制作でした。クライアントの要望は2つありました。ブランディングをしたい。そして、問い合わせが欲しい。
話を聞いていくうちに引っかかりました。この2つを1つのサイトで両方やろうとすると、どちらもふわっとして、結局どちらもクリアできなくなると思ったからです。
二兎を追う者は一兎をも得ず、というやつです。
なので、こう聞きました。
もしかして、ブランディングよりも、問い合わせのほうが欲しいんじゃないですか。
そのうえで提案したのが、ブランディング用の企業サイトと、問い合わせ用のしっかりしたサイトを、分けて作りましょうという話です。そして、まずは問い合わせ用のほうから作りましょう、というところに落としました。

言われた通りに1つ作るほうが、こちらは楽です。でもそれだと、たぶんどちらの目的も達成できませんでした。
私はこれを癖にしています。そもそも考えるのが好きなので、おせっかいだと思われそうですが、毎回ディレクターさんと一緒にこの整理をやっていたりします。自分で勝手にやっているときもあります。
言うのは、「これは今の段階から言っておいたほうがいい」と思ったときです。
正直に書くと、現場やディレクターにはウザがられるかもしれません。
それでも下請けが提案する意味
ウザがられるのに、なぜやるのか。
提案が通って、それで良い方向に動いたとします。成果物を出したあとの結果に、それは響きます。細かいところで結果が変わったことが分かるのは、現場のスタッフです。
そうすると、ディレクターさんの評価が上がります。
評価が上がった人は、次の仕事を取ってきます。そうなれば、こちらにも仕事が来るかもしれません。
これが、下請けの立場で提案する意味だと思っています。自分の評価を上げようとしているのではなく、一緒に組んだ人の評価が上がる余地を作っている。
毎回やる必要はありません。金額が安い仕事なら、生活のための仕事として言われた通りにやります。大事なクライアントだとか、金額が大きくてしっかりやりたいときに、そうしています。
ただ、こういう整理をする癖をつけることは、勧めたいです。
質問には、いいものとそうでないものがあります
質問が多いのも、いいところです。分からないことを分からないと言えるのは、それだけで強い。
ただ、質問には種類があります。

- 「これどうやったらいいですか」「どこのボタンを押したらいいですか」
- 「自分はこういう方面に進みたくて、こう考えているんですけど、どう思いますか」
前者は枝葉です。後者は、自分の意見があったうえで、外部の意見が欲しくてしている質問です。こういう質問をしてくる人は、いいなと思います。
初心者でも同じです。「自分はこういうことができます。あなたのここの仕事を効率化できると思いますよ」と言ってくれる人は、経験の量に関係なく目を引きます。
夢を語る人は、一緒の船に乗せられます
もう一つ見ているのが、その人が自分の夢をどれだけ語ってくれるかです。
語ってくれた中に共感できる部分があると、「こいつだったら一緒の船に乗せてもいいかな」という判断ができます。うちの理念に似ているなと思ったら、そこを深掘りしたくなります。
技術の話は、ここには一度も出てきません。
私が選ばれる側だったときも、同じでした
逆の立場だったときにやっていたことは、いま書いたことの裏返しです。
- とにかく返事を早くする
- 分からないことは分からないと言う
- とにかく提案する
根っこにあったのは1つです。相手の時間を増やすこと、相手の工程を楽にすること。そのために提供できる価値は何か。それだけ考えていました。
「こんだけやれる人はいない」と言われました
実際に、何度かそう言ってもらったことがあります。
中身はこういうことです。現場で判断ができて、撮影もできて、編集の構成も作れて、実際の編集もできて、お客さんとのやりとりもできる。
「俺は現場の監督をしていればそれで済むから楽ちんだ」と、何度も言われました。
これは私の腕を褒められたわけではないと思っています。相手が、別の仕事に集中できるようになったという話です。
クライアントの機嫌をとる、成果を確認する、意見を吸い出す、成果物のクオリティを上げる、次につなげる動きをする。その人がやるべき仕事に、時間を戻せた。そういうことだと理解しています。
上手いのに仕事がない人を、何人も見てきました
技術があるのに仕事につながっていない人は、結構います。
大抵、「俺の技術すごいだろ」「俺は絶対に撮影がうまい」というのが透けて見えます。
言葉にしなくても、態度に出ます。ただ、これは私がそう感じたというだけの話です。本人に自覚がないのに出ている、と言い切るつもりはありません。そう言ってしまうと、言われた側は何も確かめようがなくなります。
私が見ているのは、態度そのものより、そのあとに何をするかのほうです。
自分が撮りたい絵を撮る人は、現場を止めます
前回、アートとデザインは混同してはいけない、と書きました。ここがまさにそれです。
クライアントワークなのに、「俺はこっちのほうがいいと思う」と、自分が撮りたい絵を撮ってくる人がいます。
でも、お客さんはそれが必要だと言っていません。どこで使うのかも分かりません。その撮影に使った時間は、丸ごと余分です。
その人がいるせいで、現場のスムーズさが1分、5分と削られていきます。
1回なら誰も何も言いません。それが積み重なったとき、どうなるか、という話です。
「押さえておきますか」は、余分ではありません
いま「余分な撮影」と書きましたが、現場で増やす撮影が全部そうだという意味ではありません。そこには線があります。
温泉地の紹介ムービーを撮っているとします。絵コンテに「駅に着いた」というシーンがあって、書かれているのは演者さんが駅から出てくる絵と、その表情だけだとします。
このとき、私はこう言います。
- 駅の名前が分かる看板のカットも欲しくないですか
- 歩いている足元があると、臨場感が出ませんか
- 切符を入れる手元があると、旅行感が出ると思うんですけど、押さえておきますか
これは保険です。本筋の映像に絡めて使えるものだからです。メインで撮っているものから連想されるもの、そこから枝葉で分かれていくもの、本筋に関連づいているもの。
一方で、こういうのは違います。
「演者さんの表情が素敵なので、横顔も撮りたいです」
これは、条件次第です。温泉街の景色が綺麗で、それを見てニコニコしている。「温泉街に来て楽しいんだな」と分かる表情なら、撮っていいと思います。本筋につながるからです。
でも、演者さんが綺麗だから、可愛いから撮る——これは本筋と全く関係ないので、だめです。
「この景色が綺麗だから撮っておきますね」も同じです。根拠がありません。
線はここだと思っています。
何に紐づいていて、何から分岐して、それをどこで使うのかを、その場で説明できるか。
「綺麗だから」は、説明になっていません。
偉い人にだけ挨拶する人は、その偉い人に見抜かれています
もう一つ、よくあるのがこれです。
技術があって、作品がいいので、周りから「すごいすごい」と言われる。そのうち、調子に乗ってしまう。
自分がすごいと思って、現場の偉い人にだけ話しかけに行く。偉い人と対等の立場だと思ってしまう。
朝一で現場に入って、偉い人から挨拶するのは当たり前です。でも、偉い人にばかり喋っているのはよくありません。
すべての人に挨拶をして、平等に扱っている人のほうが、周りからの評価は高いし、頼られます。
そして、ここが肝心なところです。
本当に偉い人、立場が高い人は、その人が自分にだけ挨拶して、周りへの扱いが雑なことを、絶対に見抜いています。
見抜かれると評価を大きく下げられて、仕事がなくなります。これはよくあります。
私自身も、現場では少し位が高い場所に立つことが多くなりました。自分にだけアプローチしてきて、他の人には当たりが強い。そういう人を見ると、次はもうお願いしたくないなと思います。
雰囲気を作れる人のほうが、仕事は取れます
逆の人がいます。
ずば抜けたものを作れるわけではないけれど、それなりのものは作れる。現場をよく回す。みんなと仲良くやってくれる。
こういう人は、使いやすいというより、頼れると思えます。だからお願いしやすくなります。
結局、その場の雰囲気を作れる人のほうが、めちゃくちゃ上手な人より仕事を取ります。
地方だったら、なおさらだと思います。関東だと技術が優先なのかもしれませんが、そこは私には分かりません。私が見てきたのは福島の現場だけです。
どれにも当てはまらないのに、選ばれない人へ
ここまで書いてきたのは、威張る人、勝手に撮る人、偉い人にだけ挨拶する人の話です。
読んでいて「自分はどれにも当てはまらない」と思った人がいるはずです。挨拶もするし、威張ってもいない。なのに指名が来ない。そういう人にとって、ここまでの話は何の役にも立ちません。
その場合に私が思うのは、1つだけです。
「褒められること」と「また呼ばれること」は、別の指標です。
現場で「上手いね」と言われて帰る。それ自体は、次につながる保証を何も含んでいません。私も長いあいだ、この2つを混ぜて考えていました。
もう1つあります。自分の手を離れた時点で、仕事は終わりません。相手の仕事は、そこから始まります。
受け取ったものを次の工程に渡す人がいて、それを社内に見せる人がいて、成果を確認する人がいます。その人たちの時間が、自分と組んだことで増えたのか、減ったのか。
見られているのは、たぶんそこです。
そういう回です
技術を上げるなという話ではありません。上手いことは、当然いいことです。
ただ、選ぶ側に立ってみると、見ているのは上手さではなく、その人と一緒にやったあとに何が起きるかのほうでした。
自分がそう見られていることに、私はしばらく気づいていませんでした。
この記事の続き
この記事に書いたのは、私に実際に起きたことです。企画を「面白いね」で終わらせずに通すまでの組み立て方。その手順までは、この記事に書いていません。
記事は、私が何をしたかの記録です。教材は、あなたが明日やることの手順です。
そこだけをまとめたのが LOCALANCE BOOKS「企画の書(秘伝)」です。私が実際に使っている型をそのまま置いています。目次と中身は、このすぐ下から確認できます。
