見積もりに「初稿まで」と書いたことがあります。
その案件は、撮影と編集を私が担当し、制作会社を経由して発注元へ納めるものでした。金額も範囲も、合意したつもりでいました。
揉めました。私は初稿を組んで出した時点で自分の担当は終わりだと思っていて、相手は、発注元から戻ってきた修正に対応するところまでが「初稿まで」だと思っていたからです。
この記事は、見積もりを出したあとに「そこまで含まれていると思っていた」と言われた経験がある人、あるいはこれから出す人へ向けたものです。私が何を書き落としていたのかを書きます。
どちらも嘘をついていません
先に書いておくと、相手が無理を言ってきたわけではありません。
制作会社にとって、初稿は発注元に見せるためのものです。見せて、意見が返ってきて、直して、そこで初めて一段落する。その一連が「初稿」でした。
私にとって初稿は、自分が組み上げて相手に渡す最初の版でした。渡した時点で、私の作業は終わりです。
同じ日本語で、完了する地点が違っていました。
揉めたときに、何も言えませんでした
修正の依頼が来たとき、私は追加費用の話を出せませんでした。
見積書に「初稿まで」としか書いていないからです。私の解釈が正しいという根拠が、どこにもありませんでした。相手の解釈が間違っているとも言えません。

結局そのまま対応しました。金額は変わっていません。
そして、関係が少しギスギスしました。これがいちばん響きました。金額を取り損ねたこと自体より、次にその相手と仕事をするときに、お互い少し身構えるようになる。それが嫌でした。
抜けていたのは、金額ではなく「終わりの定義」です
見積書に足りなかったものは、項目でも金額でもありません。
何を、誰が、どの状態で確認したら終わりなのか。それが書かれていませんでした。
「初稿まで」は作業の名前です。作業の名前は、終わりの地点を指しません。
納品とは、成果物を渡すことではありません。誰かが確認して、これで終わりだと双方が認めた状態のことです。
1. 私が組み上げた時点
2. 相手(制作会社)が見た時点
3. 発注元が見た時点
4. 発注元が「これでいい」と言った時点
この4つは全部ちがいます。そして「初稿まで」という5文字は、そのどれも指していません。

私は1のつもりで、相手は4のつもりでした。間に3段階あったことに、揉めるまで気づいていませんでした。
危ないのは、短くて便利な言葉です
あとから振り返ると、揉める言葉には共通点がありました。短くて、双方が知っていて、それぞれ別の像を持っている言葉です。
私の場合はこれでした。
- 初稿
- 一式
- 運用
- サポート
- 作る
どれも、書いた側は「自分が思っている範囲」を、読んだ側は「自分が思っている範囲」を、それぞれ疑いなく読みます。確認しようという気が起きない。そこが危ないところです。
「テロップ入れ」なら、まだ話が具体的です。範囲が狭いぶん、ずれても小さい。言葉が短くて広いほど、ずれたときの幅が大きくなります。
もう1件あります。「作る」でした
映像の話だと思われるかもしれないので、もう1件書きます。こちらは映像ではありません。
駆け出しのころ、名刺を作ってほしいと頼まれました。
私は、デザインをするところまでが自分の仕事だと思っていました。相手は、印刷されて実物が手元に届くと思っていました。

印刷するなら、印刷代がかかります。あとからその分をもらうことになって、少し険悪になりました。金額としては小さい話です。
そのあと、その人から依頼は来ませんでした。
金額の話を持ち出したから切れた、とは思っていません。最初に決めていなかったから、あとで持ち出すことになった。順番が逆だっただけです。
ただ、あとから金額の話をされたのが気まずかった、という可能性は否定できません。相手に確かめたわけではないので、ここは私の受け取り方です。
「作る」という2文字が、どこまでを指すのか決めていませんでした。デザインを作るのか、名刺そのものを作るのか。日本語としてはどちらも「作る」です。
これも、私のミスです。相手は「名刺を作ってほしい」と言っただけで、そこに嘘はありません。
業種が変わっても同じです
初稿は映像の言葉で、「作る」はどこにでもある言葉です。共通しているのは、作業の名前だけで契約していることでした。
- 「デザイン一式」は、どこまでのページを指すか
- 「修正」は、色を変えることか、方向性から作り直すことか
- 「納品」は、原稿を渡した時点か、掲載されるまで見る時点か
- 「運用サポート」は、月に何回、何をすることか
私が答えを持っているのはここではありません。ただ、私が2回とも間違えたのは、言葉が短くて、自分の中では意味がはっきりしていたところでした。
この例は、間に会社が入っています
この記事の案件は、私と発注元のあいだに制作会社が入っていました。だから確認する人が増えて、終わりの地点が4つに分かれました。
相手と直接やり取りしている人なら、段階はもっと少ないはずです。
ただ、少ないほうが安全とは限りません。相手が1人なら、その人が「これでいい」と言えば終わりです。裏を返せば、その人の頭の中にある完成形しか、終わりの基準がありません。書いていなければ、そこに合わせることになります。
段階が4つか1つかは、この記事の主題ではありません。書かれていない、というところが同じです。
相手を疑う話ではありません
念のため書いておきます。これは「発注側は範囲を広げてくる」という話ではありません。
私が揉めた相手は、こちらの見積書を素直に読んだだけです。書いていないことを勝手に足したわけではない。書いていないから、自分の解釈で読んだ。それだけです。
これはあとから整理した見方です。その場でこう考えられていたら、たぶん揉めていません。
曖昧な言葉を選んだのは、私のほうでした。
そして正直に言えば、当時の私は曖昧なほうが通しやすいとも思っていました。細かく書くと、相手が身構えるんじゃないか。面倒な人だと思われるんじゃないか。だから短く書いた。
いまは逆だと思っています。先に細かく決めたほうが、あとで気まずくならない。
細かく書くと、相手は引くのか
ここが、私がいちばん長く勘違いしていたところです。
細かく書いて、断られたことはありません。引いていた人がいた可能性はあります。ただ、それで話が流れた記憶はありません。
いまは、細かいほうが信頼されると思っています。工程が全部見えるので、相手は何をしてもらえるのかが分かります。そして「これはやってくれないのか、じゃあ追加でいくらですか」という話にもできます。細かい見積書は、相手にとっても交渉の材料になります。
制作会社や、自分と違う業種の見積書を見たことがあるでしょうか。かなり詳細に書かれているものが多いはずです。項目が並んでいるほうが、発注する側も安心します。
それでも細かく書いたことを嫌がられたら、そこは合わないのだと思うようにしています。
いま気をつけていること
具体的な条件までは書きません。回数や金額の設定は案件によって変わりますし、私の条件をそのまま写しても、相手が違えば合わないからです。
細かく書けというのは、私と同じ中身を書けという意味ではありません。自分の案件について、終わりの地点を自分の言葉で書けるかどうかです。
ただ、決める順番だけは毎回同じです。
1. 何を渡したら終わりかを先に決める
2. そのうえで、無料で直す範囲はどこまでかを決める
3. それを超えたときに、どうやって追加の話を切り出すかを、契約前に自分の中で決めておく
3つ目は、相手に伝えることではありません。自分の中で決めておくかどうかの話です。
決めていないと、そのときになって言い出せません。私が言い出せなかったのは、金額の交渉が苦手だからではなく、言い出す条件を決めていなかったからでした。
金額そのものをどう決めたかは、実績がゼロだったころの話のほうに書いています。この記事は、金額を決めたあとの話です。
途中から聞き直すのは、私も怖いです
正直に書きます。すでに進んでいる案件について、途中から「認識を合わせたいのですが」と切り出すのは、私も怖いです。相手も困惑します。
この怖さが無くなったわけではありません。いまも、途中で言い出すのは避けています。
だから、なるべく最初にやります。
その場で合意しないことにしています。金額や範囲の話が出ても、一度持ち帰らせてくださいと言う。持ち帰って整理してから、今回はこれとこれとこれでいいんですよね、と確かめる。
途中で切り出すより、最初に一度止めるほうが、ずっと簡単です。
ひとつ書き足します。同じ相手と次の仕事があるなら、そこは「途中」ではありません。次の1件の入り口が、その相手との「最初」です。いまの案件を巻き戻さなくても、そこで止められます。
今日できること
1つだけ。
直近で出した見積書を1枚開いて、いちばん短い項目名を1つ探してください。
「一式」「初稿」「基本◯◯」「◯◯対応」。そういう、2〜5文字くらいで済ませている項目です。
見つかったら、自分にこう聞いてみてください。「これは、何を渡したら終わりだと相手に伝わっているか」。
答えられなければ、そこが次に揉める場所です。
進行中の案件でいま切り出すかどうかは、無理をしなくていいと思います。私も怖いので。次に出す1枚から変えれば間に合います。
ここだけの話
この件、金額としてはそんなに大きくないんです。取り損ねた額より、そのあとしばらく気まずかったことのほうが記憶に残っています。相手も悪くないし、こっちも悪意はないのに、なんとなくメールの文面が硬くなる、みたいな。あれが一番しんどい。だから今は、細かく決めるのは相手のためというより、自分が気まずくならないためにやっています。
この記事の続き
この記事に書いたのは、私に実際に起きたことです。最初の案件をどう取るか、見積もりをどう作るか、どう断るか。その手順までは、この記事に書いていません。
記事は、私が何をしたかの記録です。教材は、あなたが明日やることの手順です。
そこだけをまとめたのが LOCALANCE BOOKS「受注の書(入門)」です。私が実際に使っている型をそのまま置いています。目次と中身は、このすぐ下から確認できます。
